均衡の突破
何が問題なのかが判らない。それどころかどこが問題になるかがわからない。そういう人に問題点を見つけさせるのはすこしばかり疲れる。なぜだろう。
つまりそれは、他人の目にならなければいけないからだろう。ある種の抽象に費やされるパワーは馬鹿にならない。抽象は疲れる。では具象はどうか。目の前にあるものを目の前にあるとおりに見るだけというなら、これはこれで楽だ。スーパーリアリズムの絵画。
しかしそれだけではおもしろくもなんともない。いろいろ疲れるというのは、これはこれで楽しかったりもするわけで、抽象的会話で疲れ果てる夜明けってのも、これはこれで悪くない。バランスが崩れるのは、新しいものに手を伸ばせるチャンスであるから悪くはない。
悪くないからといって問題が消えるわけでもないけれど。
で、たいていそういう困惑や疲弊が出るときって注意深くならないといけないのだ。なぜそこにひっかかるか。なぜその問題が気になるのか。それによって、自分の興味の方向性がみえる、こともある。
問題は結局、バランスの中に安住している自分のほうにあったりするのだ。