無意識の時間

 脳味噌には言葉を受け取る部位と、発するためにまとめる部位があって、考えた事柄はそこを何度か往復しながらまとめあげられるらしい。それにかかる時間はおおよそ0.2〜0.4秒。つまり「言語化されない無意識」というのはたかだか半秒のあいだのことだというわけだ。

 ところで僕らはいつもしゃべっているわけではない。言葉で世界を規定しつづけているわけではない。一秒の半分よりも前の世界が僕らの視界を埋めているのだ。花の名前を呼んでみる。けれどそれは花ではない。空を見あげて、雲の模様を読んでも、そこに見えるのは空じゃない。空を見たときの何かじゃない。

 取りこぼすものは多い。見ていてもみのがすものは多い。話しても、聞いても、考えても、見えないものはあいかわらず見えない。言葉の世界のフィルターは一秒の半分のすき間で世界を取りこぼしつづける。できることはといえば、見ることだけ。なくしたことさえも気付かないうちに忘れてしまうことばかり。

 かといってこれだけしかないわけだから、まあ、それでやるほかないのだよ。失われるのは花の名前、消えうせるのは空の色、朝の光。夜の闇。