さみしさについて話した
サミシサについてすこし話した。独りに立ち戻ったときに実感する寂しさもあれば、数多くの人々といるときに感じる淋しさもある。結局のところ寂しさというものはなんだろう?どこにあって、どこからくるのだろう。それは孔のようなものなのだろうか?
よくわからない。
回線を切断したあとに訪れる沈黙は、どこかほっとさせてくれるけれど、少しだけ寂しく、だがそれはさほどキライではない。独りで立ち戻るために人といるからか?どうだろう。そのへん、まだ未整理。
さみしいからといって、だから人といてもどうにでもなるわけじゃないことだけは、これは明確にわかっているけれど。