楽しい日

 騒いでいるときには他人といることを意識しないでいい。なので誰かと集まるときは半ば意識的に大人数で必要以上に盛り上げる、ということをするようになって久しい。だけれど人数が少ないとその手が使えない。そこがつかれる。他人は他人だ。

 人によってはそういうときの反応やらをとりまとめて「素顔」とか呼ぶこともあるようだけれど、さて、それが素顔なのやら何やらよくわからない。今日一日を無事に送れた、という、状況に対してひどく場違いな感想しか浮かばない。たぶん「楽しい一日」と評しても異論は出てこないのだろうけれど、ほんとうにこれが楽しいというものだろうか、と考えると、全面的に肯んじがたいものもあるのも事実なわけで。

 明確に言えるのは、楽しさについて考えることは楽しいことではないこと。