古い話、想起、忘却

 風にあおられるレジャーシート、クルミパン。木陰、魔法瓶のコーヒー。昼寝。小さく笑う声。


 古い話をした。古すぎる話。急速に思い出されるものは匂い、そして色。鮮やかな色。机の下に敷いてあったゴザに砂がかぶっていたこと、陽射しの角度、どんな椅子だったか。そんなことばかりが浮かぶ。だが肝心の相手の顔はぼやけてみえない。思い出せるのだけれど、相手がその時どんな風に笑っていたのか、その笑顔を思い出せない。あの時、確かに僕たちは笑っていた。そうだ、笑っていたのだ。そう、たぶん。

 コンクリートのひび割れまで思い出せるけれどそれだけしか思い出せない。あの海辺は遠く去り、そしてもはや立ち寄ることもない。思い出すために立ち寄ったつもりだったけれど、あれは単に、完全に忘れてしまうための足がかりに過ぎなかったのだろう。相対化され、遠ざかり、具体的に捉えられ、確定されたモノ。

 思い出せないのは、その時、自分がどんな顔をしていたのだろうかということだ。笑っていたのだろうと思う。でも、何を見ていたのだろう。少し照れたように伏せた目を見ていたのか。それとも、そのむこうの海を見ていたのか。何も見ていなかったのか。何かの中に別のものを見ていたのか。

 それはいまの自分に引き継がれているのか。

 笑い声というものはどこまでも尾を引く。その響きが消えることはない。どこまでも浸透して、世界を侵食する。ときどきそれは浮上して手に触れて、僕らはその時、おどろくのだ。何に驚いているのかさえ忘れたとしても。