針と雲

 ところで、思うことといえばそんなには多くない。人間の脳味噌の容量は識域下にあらわれないものを勘定に入れたところで知れたものだ。クリアにそれらを見据えるというのはとてもこたえる。ボディーブローのほうがまだマシ。

 なのだけれど見据えるというのはときどきは必要だったりする。牛乳でほうれん草を流し込むのは、これは自分でやるしかないことだったりするわけで。それは栄養にいい。ほうれん草がどう思うかは、さて、知らないよ。



 甘美ではないというわけではない。そういうことではない。それはただまぶしすぎるということだ。慣れていない闇夜の目にはわずかばかりの幻の光も網膜を焼きつかせるばかりだ。



 でも朝がくれば光は来る。目を開いて空を見ればそこには春の空があるわけで、雨もその光をやわらげはしない。

 思うことといえばそんなには多くない。夜空を見あげて、足下を見て。雲間に見え隠れする空の底はあまりに深くて、雲は素早く流れて、それは時計の針を思わせる。