なんでもないことが本当になんでもないのであれば、ここはなんでもなく過ごせるけれど、そうもいかない。
浮かれたち、喜んで我を忘れ、距離を措き、戻り、惑溺し、溶融していく過程をだいぶ見てきた。それはヨロコビであり、タノシミでもある。あった。それは変わらない(その意味において変わりうるものなんてあるだろうか)。
沈み、歪み、叫び、怒鳴る。それが一概にマイナスだとは思えない。怒鳴ればいい。わめけばいい。悲しみを聞くくらいには喜びを聞くこともできる。だからなんでもないことをなんでもないように聞くことくらい、できるはずだ。
たぶんね。