狂気と犯罪

狂気と犯罪 (講談社+α新書)

狂気と犯罪 (講談社+α新書)

江戸時代の刑事裁判、そして明治に入ってから旧刑法のもとにあった裁判も、関心を寄せていたのはただ犯罪という事実であった。そこで問われていたのは常に、「おまえは、一体どのような『犯罪』を行ったのか」ということだった。だが、われわれの時代の刑事裁判は、そうではない。犯罪事実だけでなく、さらに犯罪者の性格を考え合わせた上で、刑罰を決定しなくてはならなくなったのだ。ここでもまた、個性が問題となったのである。そこでの問いは、したがって次のようなものとなった。

「このような犯罪を行ったおまえは、一体『何者』なのか」

われわれの刑事裁判は犯罪行為とともに、あるいはそれ以上に、法を犯した人間そのものに関心を向けなければならなくなった。犯罪者の性格をも同時に、裁かなくてはならなくなったのだ。

ということでここの記事*1で知った新書。
なんかミシェル・フーコーみたいだな、と思ったらどんぴしゃり、フーコー入門書を心がけてたのでしたか。なるほど納得。フーコーは高校生ごろに読める機会が得られたならとても視野が広がる気がする。「狂気の歴史」を読んだときは読みながら「なんかいますごいもの読んでないか?」とか思わされたっけなあ。


インタビュー記事のほうも短いけれど興味を惹かれたので記録しておく。

http://media.excite.co.jp/book/daily/friday/002/?amzid=char-22

芹沢 「犯罪者」の誕生というテーマは、明治時代の史料を見れば、それこそが中心的なテーマだったことはすぐ分かります。そして、「犯罪者」をこそ裁くために現行の刑法がつくられました。日本の刑法において法定刑の幅が異様に広いのはそのためです。裁判官が「犯罪者の人格」を考慮した上で量刑する。こうした意味で、法を機械的に適用する存在から、裁判官が「立法者」になったというのが当時の共通理解でした。

 われわれは罪を犯したことによって罰せられると素朴に考えているけれど、実際は「悪しき性質」が罰せられ矯正されている。そして、この「悪しき性質」を診断する科学として、精神医学は社会的なステータスを獲得しようとしました。

また、江戸時代の話ですが、それを持ち出したことには一つ理由がありました。明治時代になってガラリと刑罰のシステムが変わります。ほんの数年とか十数年で変わるんです。その「変わる」ということが言いたかったんです。

 だから、精神障害者や狂気に対して、現在当たり前だと考えられている処遇も、その土台となっている「思想」が変われば、変わるんだといいたかったんですね。だけど「思想」は絶対変わらないという思い込みのなかで、非常に細かい議論が目立ちます。心神喪失で刑事責任を問えない精神障害者を刑罰から排除(解放)する。けれど、そのあとどうしようかとなったとき、厚生労働省の施設に収容するとか法務省の施設に収容するとか細かい議論になってしまう。前者ならば治療だけれども、後者だと保安処分になるとかなんとか。

 でも「思想」が変われば、まったく発想も変わってくるはずだということを言いたくて、江戸の話を出したわけです。具体的には精神障害者であってもすべて健常者と同じように裁くということになれば、厚生労働省法務省のいずれかといった瑣末な話どころか、そうした議論そのものが成り立ちえなくなります。そのときは、「思想」そのものが変わるからです。

とくに引用してない本文最後のほうの下りはうなずかされた。*2どこもかしこもヲタ的防壁が囲い込み運動しちゃってて息苦しいにもほどがある。ここらへん誰か打破してくれなきゃ百科全書派で司祭階級が統治するディレッタンティズム万歳な時代再来しちゃうぞ。

*1:エキサイトブックスhttp://www.excite.co.jp/book/

*2: →”たとえば、「規律権力」でも「生―権力」でもなんでもいいんですけど、そういうタームを出してしまうことでかなり読者は逃げると思うんですね。で、その説明をすればますます逃げられるでしょう。理論好きのおたく以外には。”