『知る』とゆう行為のコンポンテキなモンダイ

アッシリア関わりのねえこって…

えーとね、知識がないとそもそも思考が成立しないの。思考ちゅのは何か適当に思いつくことじゃなくて、知識とゆうパズルのピースを論理とゆう合わせ目に沿って当てはめていく作業なの。だから、いくら知識があっても論理がない=アタマが悪けりゃ思考はできないってリクツ。まあ知識はそれ自体 一定以上貯まると自然にまとまるちゅ核のような性質がある(とウロンは思う)ので、単純な蓄積にも十分意味はある気はするんだけど。あと、知識が多いと思考に幅ができるちゅのは大事です。解の妥当性が高くなるからね。逆にアタマがよければ足りない材料を推測したり飛ばしたりできるちゅのはあるかな。突然ひらめいたことが大正解、なんちゅコトもよくありはするんだけど、コレはそれまでに入っていた材料が識域下で組み合わさったんだと思われます。何事も入力がなきゃ出力もないのよ。

いつもながら時事に聡く、また深い洞察。更新たのしみにしているところでありますよ。