問い合わせ電話

忘れていたころに問い合わせ。ってかお宅とはもう取引してませんし、引継ぎもきちんと済ませたのは了解されてますよね?といいたいのを飲み込んで(大人になったもんだな)、手順を書いておいた書類の存在を示唆。それ以上はやらないよ。まったく、手元にあることでわかっていることなのになんで聞いてくるんだ。

別件で連絡したときにほかの人にも指摘したけれど、断るときほど明確に言わないと誤解したりするものだ。けれど、否定する言葉を否定するために吐くという、ただそれだけのことをするために煩悶する人の多いことよ。否定したいのなら否定なさい。しないなら、口を開かないことだ。

動かないことで動かす

以前の仕事仲間と会話していたときに「仕事のできる人と、人当たりのいい人」の因果関係について戯れに話したことがある。で、途中は省くけれど、結論として出たのは「無駄が少なければ少ないほど仕事ができて、人当たりもいいということになるのではないか」という暫定的結論。

意図を最小限で伝達し、必要がないならせず、必要があるならそのタイミングで適切な最小限の量だけ対応。

これがむずかしい。どれが最適の量なのか、問題の真っ只中にいたらわかるものではないからだ。経験と判断と思い切りがあって、行動力が裏打ちしないかぎり無理。
けれどこれができたら誤認も最小限だし(だって理解に必要な最低量の説明がされているわけだからね。誤認するにも、まぎらわしい枝葉の部分も削られているし)、結果として周囲との軋轢もない。

さーて、はたしてそれが事実なのかはわからない。けど、なにかを達成したいときに人は自分で動きたがる生き物だ、というのは、これはけっこう普遍的。動かずに見ていること、説明を省くことで説明すること、言い落とすことで理解させること。これができたらいっちょまえ。




できねーよ。