さえずることと、うたうこと

 唄うことは元からなかった。カラオケなどとは違う、内側からこぼれだすように自然と気持ちが声になり、音階を形作るという意味での歌のことだ。そういう才能が欠けているらしい。気持ちを表現するには歌は素敵な手段だと思う。でもまあ、無理してやるほどでもないけど。これが「取れないブドウは酸っぱい」ということですね。

 歌っている人を見ることは、にもかかわらず好きだ。それはなにか、とても人工的ではあるけれど、自然なことのような気がする。メッセージなんてどうでもよくて、無目的で、定見がなく、ただの美しさだけの存在。そういうものは好きだ。

 表現とか、発露とか、無理にしているのを見ると苦しくなる。そういうものでもないし、むりやり「ワタシ」を探したりしててもなんも見えないか、もっと悪いことに「それっぽいワタシ」を作り出して満足してしまうだけなんじゃないんですかね。まあ、それが悪いことでもないんだろうけどさ。そんなものなんですか?