慣れ
寂しいということを我慢していたその人は、そのうち「慣れた」と思うようになったらしい。でも実際はそんな都合いいことはないので結構苦しんでいたりするのだった。
人間は順応性が非人間的に高いイキモノなので結局意識をしなくなれたりもする。だからといって問題が消えるわけではないので、ときどき立ち上がるその名づけられない苦しさに足が止まったり、うずくまったりしてるわけだけどさ。今みたいに。
言う方法を忘れることは問題を消すことと等価じゃない。けれど本人にしてみたらそれでもなんだか両者は似ているように思えて、忘れようとしていたら言い方を忘れてしまえたりすることくらいはできるのだろう。器用なことだ。
かといってなにが起きるかというと、なにもない。ただ失われるだけだし、失われたそのシロモノだってそもそも名づけられるようなものじゃないのだから、なくしてしまってもいいのかもしれない。
ほんとうにそうなのかもしれない。
できることとできないことを見分けることは人間にはかなり難しいことで、出来たと思っていてもなかなかそうでもないことは多い。言葉を失えばそれは失われるかというとなかなかそうもいかないけれど、できるのはそのくらいなのかもしれない。
だとしたら、それこそが寂しいことなんじゃないか。
慣れることなんてできるのかな。