落下してゆく彼女

 ブラックホールに落下していく存在が外部を観測する。ブラックホールから逃げ出そうとしても逃げ出す事が不可能になる領域との境界線の半径を、シュバルツシルト半径と言う。そこを越えて接近した場合、どのように加速しようとしても脱出することはできない。なぜならばそれには光速が必要だからだ。したがってシュバルツシルト半径は、光の速度によって規定されるともいえる。

 実はブラックホールに向けて落下していく彼女は、いつその「戻ることができない地点」を越えたかを知ることはできない。ブラックホールに近づいたからといって即座に潮汐力に引き裂かれるわけでもないし、分解してしまうわけでもないのだ。戻れない点と、破滅の地点は最初からずれている。

 落下する物体は次第に速度を高めながら転落していく。そして光が脱出できなくなった時点で外部からは挙動を観測することができなくなる。何をしているのか、わかることはできなくなる。
 ところが落下していく側からすれば外は見え続ける。重力レンズ効果によって視界は異様に歪んでいるだろうけれど、だとしても、見える事に違いはない。

 速度が増してゆくにつれて彼女から観測する他者は、とてもゆっくりとした鈍い動きを見せはじめる。どこまでもどこまでも落下してとどまることのない彼女の速度が光速度に漸近していくにつれて、彼女にとっては、時間はどこまでも引きのばされ、永遠に落ちつづけるように思えることだろう。
 他方、ほかの人からしてみればそうでもないのだ。



 宇宙を構築するのが光の速度なら、私も彼女も光の牢獄に最初から閉じ込められているということなのでしょうか。
 だから私にはブラックホールに陥ってしまった彼女を責めることはできない。